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ブラザー工業株式会社 – 「印刷業の衰退を危惧する人は、業界全体を俯瞰して見ていません」

J-BIG 10月号:ビョルン・アイヒシュテットとニーナ・ブラゴイェウィッジによるインタビュー

DJW協賛会員Storymaker GmbHによる記事

2021-11-25, 09:38

マティアス・コールシュトルング氏は、2014年より、ドイツ及びオーストリア市場におけるBrother International GmbHの陣頭指揮を執っています。彼が在籍している期間は、印刷業界が目まぐるしく変化し、さまざまな課題を克服する必要がある激動の時代でした。今回のJ-BIGインタビューでは、会社の成り立ち、ブラザーグループが掲げる行動指針や価値観、そして、窮地に追い込まれることもある業界の未来などについて、お話を伺いました。

「ブラザー」という社名は一見日本企業をイメージさせるものではありませんが、御社がそう名付けられた理由をお聞かせください。

マティアス・コールシュトルング氏:理由は簡単です。私たちの原点は、安井兼吉氏が今から113年前の1908年に、ミシンの修理業を開業したことにさかのぼります。当時、日本人が畑仕事に使う麦わら帽子を製造するには特殊なミシンが必要で、全て輸入品でしたが、なぜかいつも同じパーツが故障し、安井兼吉氏の工房で修理されていたのです。ある日、彼の息子たちである安井正義と実一兄弟が「他にもっと良い方法があるはずだ」と考え、早速自らミシンの開発に着手しました。1928年のことです。

当初は、まだ「ブラザー工業」ではなく「安井ミシン商会」という名前で、Singer社のミシンを日本市場向けにライセンス生産していましたが、次第に自社製のミシンを開発・製造・販売するようになりました。当社は、ミシン事業を通して拡大していき、現在では世界の2大ミシンメーカーという位置付けとなっています。このことはドイツではあまり知られていませんが、日本では今でもミシンメーカーとして認知されています。

ブラザー工業という名前が付いた経緯には、第二次世界大戦も関係しています。1945年以降、ドイツと同盟国であった日本の企業は、特に米国のような重要な海外市場に進出する際に苦労したので、戦後の日本では、国際的な社名を選ぶ傾向がありました。その一例が、突然、パナソニックと呼ばれるようになった松下電器産業です。当社の名前は、安井兄弟に由来しています。シンプルな響きで、時代を感じさせず、ポジティブな意味合いで使われる「ブラザー」という名前に決めたことは、正解だったと思います。ロゴマークも70年代後半に作られたもので、一度も変更されていません。

ミシンからプリンターやスキャナーへの事業転換はどう行われてきましたか?

マティアス・コールシュトルング氏:私たちは、ミシンの仕組みに関する知識を活かし、様々な分野への進出を試みました。名古屋にあるブラザーミュージアムには、バイクが展示されています。これは、モビリティー分野にも挑戦したことがあるからです。ちなみに、ドイツの自動車メーカーOpel社も最初はミシンメーカーだったという事実もあまり知られていません。当社は、電子レンジの開発など、家電製品分野に注力した時期もありましたが、結果的には、事務用機器市場に大きな可能性を見出しフォーカスするようになりました。まずは、タイプライターや卓上計算機の製造から始まり、プリンターやスキャナー、複合機などへと、エレクトロニクス分野が発展していったのです。

ちなみに、当初はミシンやタイプライターに関わらず、家庭用と産業用の明確な区別は存在しませんでした。当然ながら、産業化・専門化が進むにつれ変化していきましたが、現在も両方に対応しています。例えば、ミシンであれば、バングラデシュの縫製工場からボンに住む刺繍が趣味という方まで、あらゆる場面に適したモデルを提供しています。

御社が大切にしている「At your side」という言葉には、どのような意味が込められていますか?

マティアス・コールシュトルング氏:この言葉は、私たちの企業理念であり、行動指針です。要するに、私たちは、常にお客様やステークホルダーを中心に考え行動するという意味で様々な場面で応用することができます。例えば、何か問題が生じ、お客様が困っている場合、お客様はその要因に腹を立てたり、怒ったりもするかもしれません。その要因を真摯に受け止め、解決策を一緒に考えてくれていると感じてもらうことも、私たちの仕事です。これは、株主、従業員、販売会社、あるいはここバート・ヴィルベル(Bad Vilbel)の地域社会に対しても同じです。私たちが、人々に寄り添い、コミットし、彼らを単なる数字として捉えることは決してないということが伝われば幸いです。

偉そうに聞こえるかもしれませんが、実際にはそうでもありません。創業者らにとって、人々に食べていける仕事を与えることはとても重要なことでした。自分たちのために利益を追求することよりも、雇用を創出し、お客様と従業員の両方に満足してもらうことを第一に考えてきたのですす。一方で、常に周りの人々にコミットし、問題を解決に導く手助けをすれば、成功や発展は自然と付いてくるものなのです。「従業員に安い賃金を払っていたからではなく、高い賃金を払っていたからこそ、自分自身も裕福になれた」という、ロバート・ボッシュのこの言葉は、当社の理念にも通じるものがあります。もちろん、最終的には慈善事業ではなく、利益を追求する企業であることは間違いありません。しかし、私たちはこの主張をとても大切にしています。そうすることで、投資と製品開発の良いサイクルが生まれ、より良い方向に進むことができるのです。私たちの手元には、企業理念である「グローバル憲章」があり、壁にぶち当たるときには、理念とすり合わせながら計画や行動が本当に正しいかを確認します。

この姿勢を、お客様にはどう示していますか? 

マティアス・コールシュトルング氏:私たちの事業は、一般的な意味でのエンドユーザービジネスではありませんが、エンドユーザーはもちろんあらゆる事業活動の中核です。製品やサービスに満足していただけなければ、販売代理店の倉庫を製品でぎゅうぎゅう詰めにしても意味がありません。間接販売でも「At your side」の精神を最終顧客に伝えるために、2つの方法があります。

1つ目は、販売代理店やリセラーへの信頼と期待です。私たちが彼らに示す協力的な姿勢は、エンドユーザーにも伝わると確信しています。 2つ目は、ユーザーが直接利益を得られるような施策やサービスを提供することです。その最たる例が、2003年に開始した業界でも類を見ない3年保証です。

お客様がブラザー製品を購入された場所関係なく、3年間の保証をご利用いただけます。これにより、お客様は、正当な保証理由があれば、いつでも安心してお問い合わせができます。現在の法律では2年間の保証が義務付けられていますが、最初の6ヶ月間は購入時に不具合がなかったことを証明しなければなりません。当然それは非常に難しく、お客様にとって明らかに不利な条件です。それは、私たちが大切にする「At your side」の精神にそぐわないやり方なので、会社として独自の道を歩むことにしました。

ドイツ進出の経緯について教えてください。また、現地での足場固めにはどのように着手しましたか?

マティアス・コールシュトルング氏:海外進出は米国からスタートしましたが、欧州進出は、1958年には既に開始していました。最初の拠点はダブリンで、その10年後にはマンチェスターにも進出しました。当時成功していたJones社というミシンメーカーの株式を購入し、後に完全に買収しました。今も欧州本社はマンチェスターにあります。そこから欧州全域に急速に拡大していきました。1962年には、ハンブルクにて、ドイツ初の事務所が開設され、その2年後には日本と行き来しやすくするためにフランクフルトに移転しました。当時、東アジアへの直行便はなく、アンカレッジ経由だと、フランクフルトからの方が乗り継ぎやすかったのです。当時の従業員数は11名でした。 

事業が本格化したのは1970年代で、1974年にBad Vilbelに移転したことと関係があります。当時は35人の従業員が在籍しており、倉庫、管理部門、作業場など、会社として必要な物事を全て整備しました。しばらくの間、継続して右肩上がりでした。90年代にはさらに建物を購入し、1991年には、初めて2億マルクの売り上げを達成しました。その年は私が入社した年でもあり、マリーローズを招待して盛大にお祝いしました。昔から行事には惜しみなくお金を出す会社だったので、2020年7月に入居した新しいオフィスの落成式も盛大にお祝いする日を従業員一同心待ちにしています。 

もちろん、社史を振り返ると挫折や不調もありました。当社の事業は、ドイツ再統一により著しく成長しました。東側には、タイプライターを持っていた人はほとんどいなかったので、まるでルネサンスが起こったようでした。しかし、ドイツ全体としてはすでに危機的状況に直面しており、数年後、1993年〜94年頃を区切りに、タイプライター市場が崩壊し、その損失を補うだけのプリンターやファックスビジネスはまだ十分進んではいなかったのです。これが大きな痛手となり、整理統合を行うことになりました。 

その後、私たちは大幅な再編成を行い、より長期的思考と持続可能な方法、つまり日本らしいビジネスを心掛けました。私たちは長い間継続的に成長を遂げていたので、その先も続くものだと勘違いしていました。この考え方が仇となって、私たちは失敗から学ぶようにしました。例えば、危機が発生するまでは、マネージング・ディレクターや支店は各自が思うように進めてきましたが、時代に合わせて再構築し、2000年には再び成長軌道に乗ることができました。90年代末には、プリンターや複合機の売上が大きく伸びましたが、過去の失敗を繰り返すことなく、ゆっくりと着実にスタッフの成長を追求しました。例えば、2002年には、自社で物流を管理できなくなったため、物流を完全にアウトソーシングしました。しかし、従業員を解雇することなく、必要に応じて再教育を行い、他の分野に統合するなど、「At your side」の精神を貫きました。もちろん、これが可能だったのは、事前に過信せず、実際に他の場所でその従業員を受け入れる余地があったからです。このアプローチは非常に成功し、現在も元物流スタッフのほとんどが別の役割で会社に残っています。

その中で、御社の技術や製品はどのように発展していきましたか? 

マティアス・コールシュトルング氏:私たちのやり方は、常にユーザーのニーズに目を向け、それに基づいてどのような技術やアプローチが理にかなっているかを検討することです。私はいつもこう言っています。極端に言えば、もし芋版画が意味のあるものであれば、それもポートフォリオに加えるでしょう。

ファックス分野もその一例です。この分野に参入したのは1980年代の終わりで、最後のプロバイダーのひとつでした。もちろん、当時は時代遅れの技術とされていた熱転写方式を採用していたため、笑われてしまうこともありました。しかし、私たちは、お客様が望む品質のファクスが届くのであれば、結局、どの方式を使っても構わないと考えていました。私たちは熱転写方式を得意としており、特許も持っていたので、お客様にとって魅力的でコストパフォーマンスの高いソリューションを提供することができました。このようにして、私たちはファクス分野において成功を収めました。これをベースに、熱転写に代わる新しい技術が徐々に加わっていきました。最初は感熱印刷、次にレーザー、そして2000年代後半にはインクが使われるようになりました。ミシン部門が独立し、オーストリア市場が加わりました。ここでも日本流に一歩一歩進めています。

ここ数年は主に、会社をどのように効率化するか、ビジネスの新たな潜在的成長分野を見極めることに注力してきました。コロナ禍は印刷業界を部分的に活性化させましたが、長期的には昔ながらのプリンターや複合機の需要は減少すると考えています。印刷物の量は増えていきません。それは仕方のないことであり、ごまかすことはできません。だからこそ、私たちのビジネスはどんな意味があるのか自問自答することが重要です。

まず第一に、規模は小さくなっても印刷は継続されると考えられます。上の世代が全てを印刷し、若い世代が全てをデジタル化するということは決してありません。状況によっては、印刷した方が良い場合もあるでしょう。それを見極めて、適切なソリューションを提供することが私たちの役目です。

つまり、なぜ印刷するのかが重要なのですね。

マティアス・コールシュトルング氏:はい、その通りです。20年前、状況は比較的明確でした。つまり、オフィスには全従業員が使用するセントラルプリンターがありました。中には、コーヒーを淹れること以外は何でもできるような巨大なマシンもありました。基本的にオフィスにおいて最も多くの社員が通る場所にプリンターが置かれていました。これは中央集権の思想であり、電子データ処理の観点からも意味あることでした。紙詰まりやトナー交換はEDPが対応しなければならないし、機器を集中させることでサービスの件数を減らそうとしたのだ。私たちのビジネスは、1台のデバイスを販売し、そのデバイスでできるだけ多くのプリントボリュームを達成すること、つまり、できるだけ多くの消耗品を販売することで成り立っていました。

しかし、時代は変わり、プリンターは20年前のように高価ではなくなりました。家庭用の良い機種は150〜200ユーロで手に入るようになり、一般家庭にとっては家計に大きな穴を開ける投資ではなくなりました。一方で、一般的に賃金は上昇しており、それに伴い企業の人件費も上昇しています。では、いったい何が高いのでしょうか?従業員がプリンターまで往復する時間と、全員のワークステーションに印刷機を設置することのどちらが高いでしょうか?私たちはこう言います。長い目で見れば、間違いなく人件費の方が大きな問題です。100人の従業員が1台のプリンターに向かうよりも、ビルに100台のプリンターを設置した方がはるかに安上がりで、特に現在のプリンターでは修理やサービスの心配はほとんどありません。そのため、私たちは分散型ワークプレイスを強く支持しています。 

もちろん、在宅勤務の場合は、ある種強制的な分散化という別の要素が加えられます。ソリューションは、今日の印刷要件と同様に多様でなければなりません。オフィスと自宅で同じプリンタを使用することは意味がないかもしれませんが、それでも両方のデバイスが一緒に動作する必要があり、おそらく同じネットワーク内でも動作します。そうすれば、社員は自宅のデスクから会社のオフィスに直接プリントアウトを送ることができますし、その逆も可能です。もちろん、個人的な文書が誤ってオフィスのプリンターで印刷されるのを防ぐ方法を見つけなければなりませんが、これについてはすでに賢明なアプローチがあります。 

また、プリンターを販売するのではなく、貸し出すことも増えてきています。支払い方法は、プリントごとに支払うモデルや、月々の定額制などがあります。基本的には、リースやカーシェアリングなどのモビリティ分野と同じ方向性です。いつ、何を印刷したいのかを各自正確に把握しているはずです。それを可能にするのが、私たちの仕事です。

御社は今後どこへ向かいますか?競合他社との差別化はどう図っていますか?

マティアス・コールシュトルング氏:既にJ-BIGインタビューにも登場した京セラの例を挙げましょう。現時点では完全に競合関係にありますが、数年後にはそうではないかもしれません。プリンター業界は非常に多様なのです。京セラのような企業は、デジタルドキュメントマネジメントやソフトウェアに力を入れており、ハードウェアとしてのプリンターはその一部に過ぎません。

当社はあえてそこから離れました。私たちの事業においても、印刷やスキャンという明確な目的を持ったアプリやソフトウェアはきっと増えていくでしょう。しかし、アプリケーション分野の開発に集中するというよりは、価格面でも真ん中辺り位置付けるようにしています。最安値でもなく、高価なカスタムメイドでもなく、約8割の人が必要とし、期待しているものを提供していきたいです。

より専門的な分野で、ますます重要になってきているのが、ラベリング分野、つまりラベル印刷です。当社のP-Touchシリーズはこの分野の市場を牽引しており、電子ラベル印刷を発明したとも言えます。例えば、玄関のチャイムのラベルを想像してみてください。この市場はDumont社が独占していました。60年代、70年代の古いドアチャイムに見られるエンボスパンチ方式をご存知の方もいるかもしれませんが、その工程は非常に複雑で、私たちは「もっとシンプルで良い方法があるはず」だと考え、早速独自の方法を開発しました。 

これは、他社との違いでもあります。新製品や新しいアプリケーションを開発する際には、その分野で1位〜3位以内になり、市場の10%以上を獲得することを常に目指しています。そのためには、自社で製品を生産することで、高い品質を維持することが必要です。製品にブラザーと書かれているところには、本当にブラザーが入っているのです。私たちは、バリューチェーン全体を自分たちでマッピングし、品質プロセスを最初からコントロールしたいと考えています。

ラベル印刷では、マーケットリーダーとして成功を収めています。2015年、ラベル・マーキングメーカーのDomino社がブラザーグループの一員になりました。この会社の機器は、ボトルや鶏卵への印刷などに使われています。また、医薬品のバッチナンバーや、小包の配送ラベルなども含まれます。これらはいずれもすぐにはなくならないアプリケーションであり、ブラザーの大きな可能性を感じるところです。印刷業の衰退を危惧する人は、業界全体を俯瞰して見ておらず、伝統的な紙の印刷に視野を限定しています。印刷自体がなくなるわけではなく、新しい分野にシフトしているのです。

近年、紙の印刷による森林資源の無駄遣いが議論されています。この問題にはどう対処していますか?

マティアス・コールシュトルング氏:もちろん、この問題は私たちにも関係しており、社内では印刷を本当に意味のある、あるいは必要な場合に限定するようにしています。一方で、再生紙の使用やトナーカートリッジの交換など、ちょっとした工夫で印刷工程のCO2排出量を大幅に削減できると確信しています。2007年より、スロバキアで再生工場を運営しており、市場に出回っているカートリッジを回収して詰め替えています。この工場では、市場に出回っているカートリッジを回収し、再充填しています。1つのカートリッジは、シュレッダーにかけられた後に再鋳造されるまで、最大345回まで再利用できます。このようなことをしているメーカーは、まだ私たちだけだと思います。他のメーカーも市場からカートリッジを買い戻そうとしていますが、それは他の人が不正に詰め替えられないようにするためで、使用済みのカートリッジは原則として破棄されます。当社の返品率は非常に高く、昨年度だけで160万個、そのうち39%がドイツとオーストリアからの返品です。これは、ユーザーができるだけ簡単に返品できるようにしているからです。返品用ラベルを無料で提供し、カートリッジを購入したときのカートンを返品時に使用できるようにしています。 

他の企業も似た状況かと思いますが、紙の印刷のこと以上に社内で議論されているテーマが、例えば外回りの営業部が日常的に対応しなければならない出張に伴う「移動手段」です。実際、私たちは自ら野心的な目標を設定しています。それは、サプライヤーとして初めて、販売組織を世界的にカーボンニュートラルにするというものです。それも、単に証明書を購入したり、木を何本か植えたりするのではなく、少なくともコロナ禍においては、必ずしも直接会ってお話をする必要がないことが明らかになりました。どうしても移動しなければならない場合は、電気自動車に切り替えたり、ドイツ鉄道のBahnCardサービスを利用したり、あるいは両方を組み合わせたりすることができます。現在、ハイブリッド車の導入を進めており、現場のスタッフだけでなく、通勤する社員のためにも、既に幾つか充電ステーションを敷地内に設置しました。また、グリーン電力を供給し使用することができれば、実際に多くのことを達成したことになります。多少のコストはかかるかもしれませんが、効果は絶大です。

ドイツから直接管理している部分はどれくらいありますか?また、日本との協力関係についてもお聞かせください。 

マティアス・コールシュトルング氏:本社は名古屋にありますが、そこから先は地域ごとに分かれています。アジアはシンガポールから、北米はニュージャージーから、ヨーロッパはマンチェスターから管理しています。そしてもちろん、それぞれの市場には支社もあります。これが基本的な組織構成です。生産拠点は、ベトナム、中国、マレーシア、フィリピンなど、南アジアを中心に世界各地に分散しています。一方、開発はすべて名古屋に集中しており、秘密の部屋にて私たちの特許が誕生しています。

現地では、主にドイツ・オーストリア市場向けのマーケティングとセールスを担当しています。また、カスタマーサービスも担当しています。必ずしもすべてのお問い合わせを自分たちで解決するわけではありませんが、現地で解決できない問題が発生した場合には、私たちが最初の窓口となり、必要に応じて日本への仲介役となります。私たちはドイツとオーストリアを担当していますが、市場によって条件は必ずしも同じではありません。例えば、3年間保証は、この2つの市場に限定されています。他の国では、文化的な理由から、保険のような延長保証制度が好まれるかもしれません。これらは、各国の市場に合うものを自由に導入することができます。 

また、日々の業務の中では、当然ながら市場調査も重要な役割を担っています。私たちは、トレンドを認識・分析し、本社にフィードバックします。欧州最大の個別企業である私たちの声には一定の重みがあります。ドイツとオーストリアを合わせると、欧州全体の売上の約3分の1を占めています。世界的に見れば、北米が先行していますが、その中でも個別企業としては最大級の規模を誇ります。 

そのため、非常に密接に協力し合っています。日本では新製品を検討する際、まず重要な市場に市場性などの評価を求めます。その後、フォーカスグループや匿名のアンケート、販売店との対話など、あらゆる市場調査が行われます。そして、テストランや小さなパイロットプロジェクトを経て、日本での開発プロセスにと進んでいきます。このような緊密で迅速なやり取りと、市場からの信頼を得られることをとてもうれしく思います。 

グローバルでは約39,000名、欧州では1,100名強の従業員が働いています。これは管理しやすい規模であり、大体全員がお互いを知っています。その規模は、階層や内部構造を持つ100万ドル規模の企業というよりも、よく経営されている家族経営の企業に近いものがあります。また、欧州地域では、経験や知識が自由に共有されており、個人的には、これは非常に喜ばしいことだと思っています。私が今年、入社30周年を迎えるのも偶然ではありません。その間、私はさまざまな部署を渡り歩いてきましたが、私も例外ではありません。これも日本企業の典型的な特徴であり、より広い範囲でスキルを伸ばすために、部署移動を繰り返します。もちろん、このアプローチは、最初は新しいポジションのために何度もトレーニングを受けなければならないので、仕事が増えることを意味します。しかし、その甲斐あって、社員が長く働いてくれるようになりました。ブラザーでは、通常よりもそのようなケースが多いと思います。 Bad Vilbel では、平均勤続年数が17年で、毎年5〜10名の新入社員は入社してくれます。女性の割合は26%弱で、管理職に占める女性の割合は27%です。IT業界の多くの企業がそうであるように、当社もこの点では少々苦労しています。しかし、ここ数年は意識的に改善に取り組んでおり、非常に良い変化が見られています。

会社として、コロナ禍をどう過ごし、乗り越えてきましたか?  

マティアス・コールシュトルング氏:2020年の最大のプロジェクトは、新しいオフィスへの移転でした。当社は1970年代よりBad Vilbelにあり、当初は約24,000平方メートルの土地にありました。しかし、私たちの建物の両脇には、ドイツ最大級の民間鉱泉会社であるHassiaグループがありました。彼らは以前からキャパシティの問題を抱えていましたが、私たちのオフィスが拡張の障害となっていたのです。数年前から売却の話をしていましたが、ようやく合意に至りました。 

公証人を訪問したのは、ドイツで最初のロックダウンが行われる直前の2月7日でした。当然ながら、不安はありました。本当に今すぐ移転すべきなのか、移転中に密集しないような距離感は確保できるのか。会社の移転は常に大きなプロジェクトであり、コロナ禍真っ只中という状況も決して容易なものではなかった。結局、一時的に状況が落ち着いた7月の週末に、実際の引っ越しを行いましたが、今となっては、良い判断だったと思います。新しいオフィスは、これまでのコンクリート打ちっぱなしの建物に比べて、よりモダンでブラザー工業らしい建物になりました。これまでのオフィスの外観は、新しい社員を採用する上でも不利な要素でした。老朽化した、後ろ向きなイメージを与えてしまうのです。これでは、未来の人材が気持ち良く働ける職場とは言えません。新しいオフィスのロビーは、まるで空港ターミナルのようで、未来に向かって出発する気分になります。この建物は20年前に建てられたものですが、オープンで透明性が高く、コミュニケーションや交流を促進する建築で、当社の性格がよく表れています。とても過ごしやすいと思います。

パンデミックの影響は事業や社内体制にも見られましたか? 

マティアス・コールシュトルング氏:間違いなく影響はありました。多くの日本企業と同様、当社も4月に会計年度が始まるので、最後の一ヶ月は、1回目のロックダウンの影響をもろに受けました。というのも、在宅勤務が広がり、非常に短期間で、適切なハードウェアを手配しなければならない人が急増しました。その影響で、倉庫はしばらくの間完全に空っぽになり、過去最高の販売実績のひとつを記録しました。 

とはいえ、この事態がどう進展するのか、どうすれば従業員がこの危機的状況を安全に乗り越えられるのか、同時に心配もありました。従業員の健康を確保することは、常に最優先事項でした。これは最初から明確で、トップマネジメントからの指示でもありました。私たちは、一歩先を行くために、可能な限り事態の進展を予測しようとしました。例えば、従業員のほとんどが1月〜2月頃より必要な機器を揃えて自宅で仕事をしていました。必要に応じてトレーニングを実施し、VPNネットワークのストレステストを徹底的に行いました。そのため、いざロックダウンが始まっても準備は万全でした。 

最初のリモートワーク期間中、私たちは従業員と緊密に連絡を取り合い、うまくいっていこととそうでないものを継続的に分析・評価しました。 例えば、8月下旬、全員在宅勤務しだった頃、少しずつ懸念材料も出てきました。そこで、1週間ごとに交代制で出社するABCシフト制に変更しました。さらに10月からは「モデュールプラス」という制度を導入しました。極端な話、月に2回しか出社しないときもあるということです。当時は、在宅勤務の義務化が世間で議論され始めた時期でした。これも結局は、「At your side」という理念の賜物です。私たちの最も重要な義務は、人、この場合は従業員とその健康に対するものです。これは常に正しいことであり、このような危機的な状況下ではなおさら。私は、非常に困難な時期であっても、当社がこの志を貫いたことを誇りに思います。私たち全員がより良い未来を見据えることができることを願っています。


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